先日、緊急事態宣言が発出された。

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私が務める児童養護施設の子ども達は、前回を経験していることもあり、事態を冷静な視点で見ている印象である。

この年末年始、私も子ども達も、世の中の消費の促進を手助けするべく、クリスマスと大晦日、年始は気がつけば食べ続ける生活を送っていた。食事は幸福感を享受できる行為であり、生物として避けることの出来ない消費行動である。

クリスマスでは降誕を祝う=食事で幸福を分かち合う意味があり、年末年始も願掛けの意味を込めて食事をする。幸せを分かち合い願い続けた結果、その幸せと願いがリザーブタンク満載のブルドーザーの様な身体で表現され、幸せを燃焼、消失させるために減量生活をしている。数日前の幸福が、今や足枷になってしまっていることを思うと、食事以外の幸せの表現を身につけなければと思う年末年始であった。


そんな子どもにも職員にも幸せな年末年始であったが、コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言は、子ども達と職員にとって年始早々の乗り越えるべき壁として眼前に立ち塞がっている。

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子ども達の生活は、一般の子ども達と一見して遜色は無い。学校から帰れば宿題をして、外に遊びに出たりアルバイトに行くなど、地域社会と繋がりながら生活することで心身の健康は保たれ、成長していく。

ただし、遜色は無いと言いつつも「血の繋がりのない他人同士が共同生活を行っている」という点では、一般家庭とは大きく違う生活環境であり、コロナウイルスによる緊急事態宣言の影響は、この環境によるストレスを子ども達はダイレクトに抱える事になる。

普段では学校に通い、アルバイトや部活に出たりと、皆が一同に揃うのは夜のほんのわずかな時間帯である。私の施設では下は3歳、上は18歳と幅広い年齢の子ども達が生活を共にしている。下のおチビ達が「うるせぇなぁ」と思う年上の子ども達も、24時間このストレスを受けることはない。が、緊急事態宣言下ではこのストレスシャワーを普段の数倍も浴びる事になる。私は休日になると殆ど家にいない程外に出る人間なので、この環境は気がおかしくなりそうだ。

下の子ども達からしても、元気に遊んでも何も言われることなく伸び伸び過ごしていた日中の時間帯に、上のアニキ、ネエちゃん達の一言一句、一挙手一投足を気にしながら生活を送るのはなかなかシンドイ。

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前回の緊急事態宣言時は、こうした事態に対処すべく、様々な策を講じてきた。
「距離を保っての映画上映」「野球やサッカーの運動」「お菓子作り」などなど、子ども達が施設の中でも距離を取り、発散できる様試行錯誤を繰り返した。満足のいく結果だったかはさておき、やらなかったらどうなっていたかというのは想像に容易い。

当時は今ほどウイルスに対する情報も無く、公共施設を始め商業施設も対策を講ぜずクローズされていたので、大都会にある施設である分「ここは○岸島か」と思える閉鎖空間が形成されていた。

こんな危機的閉鎖空間を前回乗り越えられたのは、ひとえに子ども達の協力が大きい。外に出られず苦労を強いてきたが、職員以上の責任を感じてか、普段は夜遊び上等のお子さんまで、外出自粛に協力的だった。頭が下がる思いである。


今回の緊急事態宣言は、前回とは子ども達も様相が異なる。報道やネット等で情報を持ち、それぞれが判断し意思を持っている、という点である。

「○○の映画が観れなくなるの?」や「アルバイトは要急でしょ」と言う子もいれば「なんで飲食店はやっているのに食べに行けないのか」などなど。20時以降の外出自粛の徹底とありながらも、周囲には21時にも営業しているアルバイト先があり、商業施設がある。社会の矛盾や噛み合わない歯車を、大人以上に冷静に、かつ時に正しい目線で見ているのは子どもなのだろうと感じる。

児童養護施設は、社会の流れに準じた施設である。社会がシロであればシロになり、クロといえばクロになる。一般家庭が各々で判断するべき緊急事態宣言下での生活を、児童養護施設は社会という「親」が時に判断することになる。今、社会という親はコロナウイルスの感染防止に向けて、何を判断しているのだろうか。
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私自身は、文明の中で生活、収入の得ている身であるので世の流れに反する事をする気はない。が、時に何かを守るには、何かを捨てる覚悟も必要である。今、社会は何を守ろうしているのか、見つめていかなければならないと思う。


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