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私が児童福祉業界に足を踏み入れた約10年前、それより以前から児童養護施設は乗り越えるべき問題を幾つも抱えていた。

「複雑化するケアの専門性」「運用資金」「人材不足」「施設内虐待」「やりがい搾取」パッと思いつくだけでもテーマが出ており、どれもが絡み合い解けにくい課題として、桃太郎電鉄のボンビーの姿となり、私の眼前に鎮座ましましている。この邪気を放つ問題は一筋縄では浄化できそうにないが、もはや根を張り養分を吸い尽くしているのは、人材不足である。


児童養護施設の職員(少なくとも私の知っている施設)は、粉骨砕身をその身で表現しているような働きぶりの人が多い。

まだ夜が明けず鳥も鳴かない時間に起床し、7人分の食事と弁当を1時間弱で作り、子ども達が学校・幼稚園へそれぞれの仕事に従事していった後、掃除洗濯を行い、関連機関とのミーティングから組織内の支援検討を実施。気がつけば子どもが帰宅し、夕飯を作りながら宿題を見て、風呂を沸かし子どもを高級外車のボディ、もしくは鏡かと思えるピカピカに磨かれた革靴と見紛うほどの仕上がりで洗体、夕食が終わったら明日の朝食の準備からアルバイト先から帰ってきた子どもを出迎え、お茶でもすすりながら「アタイの彼氏がさぁ」と、この子が芸能人だったら週刊誌に載るんじゃないかという話を最新のicレコーダーばりの集音機能を駆使して聞きながら夜を過ごす。子どもが寝静まったら、デスクに向かい仕事をこなして、帰宅。

この基本業務を1日2人でこなしている。

これはあくまで基本である。風邪を引けば病院に連れて行き、学校でトラブルがあれば迎えに行くし、家出をすれば警察に行き、眠れぬ夜を過ごすことになる。

私の業務は1日8時間。子どもは1日24時間生活しているが、これを2人で担当しても16時間である。残りの8時間はペッパー君でもいない限り無人だ。この8時間は子どもが寝ている就寝中の時間の計算だが、8時間の勤務をこなしながら宿直に入るスタッフがおり、そのスタッフは14人を1人で見るという配置になっている。一体どういう計算式で人員が配置されているのだろうか。

福祉業界は一般企業と比較して業務効率化が苦手である。慢性的な人員不足、一般企業と比較して閉鎖的な組織風土、求められる人材像など、多くの要因が業務効率化に歯止めをかけており、私の知人が務める保育園は未だに日報を手書きで書いている。

一度児童養護施設を退職し、ウェブベンチャー企業で働いていた当時、そのスピーディな動きに戦慄し、あの不毛ともいえる時間はなんだったのかと頭を抱えた。その会社で2年半ほど働き、なんだかんだで福祉業界に戻った時、効率化を図ることで目の前の子ども達と関わる事にフルコミット出来ると考えた。

そうして幾つか施策を実行し、成果を得て振り返った時、やはりスタッフの充実が必要という考えに至った。実際に子どもと関わるスタッフである。

どんなに効率化を図っても、子どもと相対する個体は1つである。7人を1度に対応するのは人間という体を放棄し、千手観音の体を獲得しないと不可能だ。ペッパー君ではまだ荷が重い。




この現状を、行政はどう考えているのだろうか。


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私個人の生産性を整理すべく、勤怠記録を取り続けたある日、驚愕の数字が私のPC上に表示された。1ヶ月の労働時間が350時間を超えていた。残業時間が184時間である。


私の職場は、現場職員を通常より過剰に配置している。行政が定めている配置数を超えた分の人件費は、ざっくり言えば赤字である。それでも人員を充てるのは、上述の通りスタッフ=大人の存在が子どもには不可欠だからである。

過労死ラインを大幅に超えた状況で勤務したこの月の主な勤務内容は児童対応である。新任のスタッフ1名の育成に時間を割いた、というのが要因だが、そもそも過剰配置していなければ結果は変わらない。私の平均残業時間は100時間を超えている。死ねと指示されながら働いているようなものだ。先日、生産・効率性を上げて残業時間を82時間に抑えた。最終的には残業20時間以内に収めたいと思っています。

ある日、行政の人と仕事で話す機会があった。リソースの話をしていた時、退勤時の引き継ぎ業務の時間について聞かれ、率直な時間を答えた。「もっと出来ないんですか?」そんな火に油を注ぐ返しをされたので、どこにそんな時間があるのかと聞き返したら、そりゃそうだという、無駄なカロリーを消費して終わった事がある。他に言いたいことがあるかとも聞かれ「お金をください。」と伝えたら、苦笑いされ、なんだか現場との意識の差を感じた時間であった。

児童養護の世界は感情労働の最前線である。業務内容、労働時間を考慮すれば今より高額な報酬が必要だ。それを今の給与で続けている児童養護施設の現状は、スタッフひとりひとりが持つやりがいを以て維持されている事に他ならない。

人員不足は行政も把握しているが、小規模化に伴う母体施設の運営、人材育成の投資コスト、現場との意識の相違などにより、若干の改善は見られたものの、効果的な改善には至っていない。

国が国という形を維持し発展していくためには、人口増加は必須条件だ。高度に複雑化する社会に適応できない人間が増え、文化を象徴する家族という構成単位が保てず崩れやすい現代。福祉政策、投資は人口増加のために不可欠である。しかし、投資にかける見積もりが甘く、スタッフの感情にも甘んじる無意識の悪意が、長く続く福祉と行政の関係の中に、人材不足という長く続くテーマを残している。

我が子同然に接し「担当」という名を超えて「絆」という仕事以上のもので子どもと繋がっているスタッフは「自分が倒れるわけにはいかない」という壮絶な使命感を抱き業務をしている。声にならない声を上げつつも耐えているスタッフに「やりがい搾取」をしている行政。子どもを行政に人質に取られているようなものだ。

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この不利益な共生関係を脱するには、児童養護施設の認知を拡大し、その現状を広く世に知らしめること、即ちメディアへの発信が必要だ。

福祉系の人はリスクを恐れるあまり、こうした発信を苦手とする人が多い。現場は沢山の意思、声を持っている。表向きの社会の側面である児童養護のありのままの声がより届けば、この人材不足への活路が開けるのではないだろうか。


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