死ぬかもしれない場所に何故向かうのか。
真剣に登山をする人なら、一度は周りに問われたことがあるセリフである。
登山をして十数年になるが、私自身、そんな言葉をよくかけられる。
この言葉を考えていくと、登山者は社会で生きる人と考えに根本的な違いがあることが分かる。
生きるためには死と隣り合わせの場所に向かう必要がある。文明という定められたルールを守っていれば生命は高い確率で保証され、歯車となって生きていれば適度な充実を得ることができる。自我を持っていそうで、それは与えられたものかもしれない。そう思うと、山という大きな意思を持った存在の中で、真に自分で選び、頂きを目指す行為は、死=自らの意思と向き合う行為であり、頂きを制するということは生命を肯定し、生きる資格が獲得できるのである。
どんなきっかけかは人それぞれだが、山という存在に触れた時、社会との摩擦で生まれた空白を埋めるように、山に登り続けるのかもしれない。
死を意識しなければ生を得ることはできない。それが登山者が山に向かうひとつの理由である。
では、山に登るのに自然とは相反する文明や社会という存在が不要かといえば、そうではない。むしろ文明社会にあるものが不可欠だ。
それは、帰る場所である。
先日、雪山に登るために支度をしていたところ、長女が私の登山を止めてきた。「行っちゃダメ」と、普段は言わないような言葉を印籠の如く私に突きつけ、その抑止力は木星を歩いているかのように重くのしかかってきた。
妻の口癖を覚え、同時に意味も理解してきたことが大きいのだが、好きな父が危なっかしい山に向かうのが不安で家を空けられるのが嫌なのだという。
結果、ここで登山を中止することはせず山に向かう。後日山から戻ると、娘は寝ている間に姿を消した私に酷く落ち込んでいたというのを妻から聞いた。
この時の登山は、久し振りに少しヒヤッとする場面もある雪山で、娘の言葉も登山中に脳裏を過る緊張感があり、自分の中で良い登山ができた日であった。
下山し車に乗り込むと、真っ先に連絡を入れるのはいつも妻だ。この瞬間のために登山をしていると言っても良い。
私にとって登山は家族がいなければ成立しない。それは先の通り、生死を実感するためには帰る場所が必要であり、私にとってそれは家族だからだ。
家族がいなければ、もっとヒリヒリするような死のリスクが高まる山に登っているかもしれない。が、それが私にとっての登山かといえば、それは限りなく刹那的で、まるで死を望むかのように登る行為で、今の私の登山とは少し違う。あくまで私が登る登山は文明社会をベースとしていると、これは最近実感してきている。
生きるために必要な居場所。私は山に登らなければそれを実感することができない。ただ実感する手段があるので、私の生はとても充実して輝いている。
私の職場の児童養護施設では、帰る場所という存在が子ども達をケアするうえでとても重要な要素として知られている。
「帰りたい場所」がある、しかし「帰ることができない」子ども達が大半だ。帰る場所を失い自暴自棄になる子もいる。そんな子ども達にしてやれること。児童養護施設職員ができるのは止まり木である。そして留まる中で癒やされ、それぞれの帰る場所へ戻り、時に新たな場所を見つけ、飛び立っていく。
帰りたい場所。それは家族であったり、心を寄りかかられる人であったり、様々だ。ただひたすらにそこにある愛を求めて、傷ついてでも進もうとするが、時にそれは帰れない場所なのだと突きつけられることがある。
私は山に登ることでそれを実感し生を得ることができる。しかし子ども達の中には生も死も失い、自身が何者かも定まらず、自らの存在がまるで無いものかのようになる。これほど悲しいものはないし、そんな現実を私は見てきた。
だから、児童養護施設職員は必要なのだ。その子の歴史を知り、想いを知り、ただただ寄り添う。そして築かれる担当者とその子の絆。
生活をともにする中で互いに傷つき、ぶつかり崩れることもある。それは私にとっての登山という行為に近く、その度に変わらずいる存在が、子ども達に生の肯定と帰るべき場所を知らせることができる。
私はこうして仕事と登山の双方で生の充実と実感を得ているのだが、その先にあるのは、死という生の完結だ。
生の完結のひとつを教えてくれたのは、私の父である。
その父は先日、病で他界した。
数年前から体調が悪化、ガンが見つかり腫瘍を摘出し、以降最善の治療を行ってきたが、腫瘍は身体に残り治す見込みがなくなったと告げられてから1ヶ月程で亡くなった。
父が亡くなって少し落ち着いた頃、父は何に生き、死後どこに向かったのだろうと考えていた。
生前から自身のことを語ることは少ない父だったので、父の輪郭は葬式でお会いした友人や親戚に聞いて知った。
ぶっきらぼうで母の前では天邪鬼な父であったが、友人の前では母への想いを語っていたり、親戚や友人には定期的に会いに行っていた。私や兄に対しても不器用ながら愛情は注いでいたし、そんな仲間想いで空回りしながらも家族に愛情を向けていた父だからこそ、ひとつの職場(大手鉄道会社)に数十年勤め上げたのだろう。
そんな父に、私は山で会いに行った。
父の生家があっただろう場所周辺からは、丹沢の山々が見える。その山々に登れば、父に会えるかもしれないと思い、山に向かった。
幼少期の父は家庭状況が荒んでおり、祖父は家に帰らず、食事もまともに摂れず、収入を得るために学生時代の運動会を休んだこともあったそうだ。
辛い幼少期を過ごした父。私の現職は児童家庭支援専門相談員という、やや堅苦しい肩書であるが、こんな職業だからこそ、当時の父の心情が私なりにだがよく想像できる。
父は、祖父や祖母の愛を強く求めていたのだろう。
誰よりも人の愛を求めた素直な人間が父だった。ただ、息子の私から見てもとても不器用で、愛情のかけ方が上手くなく、19歳まで実家で育った私は正直父が嫌いだった。
愛情は十分伝わっていたのだが、これほどまで間違った子育てしていたのは、祖父母から養育を十分に受けられなかったことが影響しているのかもしれない。祖母とは別の女性とも生活し、時々しか帰らない祖父への愛情を父は強く求めていただろうし、祖母から収入を求められるのではなく、本当は優しく抱かれ、子どもらしく駆ける自分を見て欲しかっただろう。
祖父が他界し、それから数年で祖母も他界した後、父は何を想っただろうか。
現在となってはそれを知ることはできないが、父と祖父母、あの世では父が求めた家族として満たされて欲しいと、私は思い巡らせる。
先日、山中にある仏に手を合わせた時、父に会えた気がした。「おぅ、元気か」と私に語りかける父。「元気だよ。また来る」と私はその場を離れ、山を降りた。
人は、生きている間は帰る場所があり、そして生を全うした後、還りたい場所へ向かっていく。
山から父の生家があったであろう場所を見下ろすと、生前の父が駆けている姿が見え、そして山に登れば父に会える。
父は地元が好きだっただろう。それは土地を離れず仕事に通い、家庭を築き、仲間や親族を大切にしてきたことからも感じる。錯覚かもしれないが、山で父に会えたことを思うと、父は還るべきところに向かったのだろうと、確信に近いことを思う。
私の生を全うした後、どこへ還るのだろう。その時は妻と一緒にいたいし、年齢的には先立つであろう愛犬とも過ごしたい。
その時が訪れるまで、今は山に登り、仕事へ向かおうと思う。
真剣に登山をする人なら、一度は周りに問われたことがあるセリフである。
登山をして十数年になるが、私自身、そんな言葉をよくかけられる。
この言葉を考えていくと、登山者は社会で生きる人と考えに根本的な違いがあることが分かる。
生きるためには死と隣り合わせの場所に向かう必要がある。文明という定められたルールを守っていれば生命は高い確率で保証され、歯車となって生きていれば適度な充実を得ることができる。自我を持っていそうで、それは与えられたものかもしれない。そう思うと、山という大きな意思を持った存在の中で、真に自分で選び、頂きを目指す行為は、死=自らの意思と向き合う行為であり、頂きを制するということは生命を肯定し、生きる資格が獲得できるのである。
どんなきっかけかは人それぞれだが、山という存在に触れた時、社会との摩擦で生まれた空白を埋めるように、山に登り続けるのかもしれない。
死を意識しなければ生を得ることはできない。それが登山者が山に向かうひとつの理由である。
では、山に登るのに自然とは相反する文明や社会という存在が不要かといえば、そうではない。むしろ文明社会にあるものが不可欠だ。
それは、帰る場所である。
先日、雪山に登るために支度をしていたところ、長女が私の登山を止めてきた。「行っちゃダメ」と、普段は言わないような言葉を印籠の如く私に突きつけ、その抑止力は木星を歩いているかのように重くのしかかってきた。
妻の口癖を覚え、同時に意味も理解してきたことが大きいのだが、好きな父が危なっかしい山に向かうのが不安で家を空けられるのが嫌なのだという。
結果、ここで登山を中止することはせず山に向かう。後日山から戻ると、娘は寝ている間に姿を消した私に酷く落ち込んでいたというのを妻から聞いた。
この時の登山は、久し振りに少しヒヤッとする場面もある雪山で、娘の言葉も登山中に脳裏を過る緊張感があり、自分の中で良い登山ができた日であった。
下山し車に乗り込むと、真っ先に連絡を入れるのはいつも妻だ。この瞬間のために登山をしていると言っても良い。
私にとって登山は家族がいなければ成立しない。それは先の通り、生死を実感するためには帰る場所が必要であり、私にとってそれは家族だからだ。
家族がいなければ、もっとヒリヒリするような死のリスクが高まる山に登っているかもしれない。が、それが私にとっての登山かといえば、それは限りなく刹那的で、まるで死を望むかのように登る行為で、今の私の登山とは少し違う。あくまで私が登る登山は文明社会をベースとしていると、これは最近実感してきている。
生きるために必要な居場所。私は山に登らなければそれを実感することができない。ただ実感する手段があるので、私の生はとても充実して輝いている。
私の職場の児童養護施設では、帰る場所という存在が子ども達をケアするうえでとても重要な要素として知られている。
「帰りたい場所」がある、しかし「帰ることができない」子ども達が大半だ。帰る場所を失い自暴自棄になる子もいる。そんな子ども達にしてやれること。児童養護施設職員ができるのは止まり木である。そして留まる中で癒やされ、それぞれの帰る場所へ戻り、時に新たな場所を見つけ、飛び立っていく。
帰りたい場所。それは家族であったり、心を寄りかかられる人であったり、様々だ。ただひたすらにそこにある愛を求めて、傷ついてでも進もうとするが、時にそれは帰れない場所なのだと突きつけられることがある。
私は山に登ることでそれを実感し生を得ることができる。しかし子ども達の中には生も死も失い、自身が何者かも定まらず、自らの存在がまるで無いものかのようになる。これほど悲しいものはないし、そんな現実を私は見てきた。
だから、児童養護施設職員は必要なのだ。その子の歴史を知り、想いを知り、ただただ寄り添う。そして築かれる担当者とその子の絆。
生活をともにする中で互いに傷つき、ぶつかり崩れることもある。それは私にとっての登山という行為に近く、その度に変わらずいる存在が、子ども達に生の肯定と帰るべき場所を知らせることができる。
私はこうして仕事と登山の双方で生の充実と実感を得ているのだが、その先にあるのは、死という生の完結だ。
生の完結のひとつを教えてくれたのは、私の父である。
その父は先日、病で他界した。
数年前から体調が悪化、ガンが見つかり腫瘍を摘出し、以降最善の治療を行ってきたが、腫瘍は身体に残り治す見込みがなくなったと告げられてから1ヶ月程で亡くなった。
父が亡くなって少し落ち着いた頃、父は何に生き、死後どこに向かったのだろうと考えていた。
生前から自身のことを語ることは少ない父だったので、父の輪郭は葬式でお会いした友人や親戚に聞いて知った。
ぶっきらぼうで母の前では天邪鬼な父であったが、友人の前では母への想いを語っていたり、親戚や友人には定期的に会いに行っていた。私や兄に対しても不器用ながら愛情は注いでいたし、そんな仲間想いで空回りしながらも家族に愛情を向けていた父だからこそ、ひとつの職場(大手鉄道会社)に数十年勤め上げたのだろう。
そんな父に、私は山で会いに行った。
父の生家があっただろう場所周辺からは、丹沢の山々が見える。その山々に登れば、父に会えるかもしれないと思い、山に向かった。
幼少期の父は家庭状況が荒んでおり、祖父は家に帰らず、食事もまともに摂れず、収入を得るために学生時代の運動会を休んだこともあったそうだ。
辛い幼少期を過ごした父。私の現職は児童家庭支援専門相談員という、やや堅苦しい肩書であるが、こんな職業だからこそ、当時の父の心情が私なりにだがよく想像できる。
父は、祖父や祖母の愛を強く求めていたのだろう。
誰よりも人の愛を求めた素直な人間が父だった。ただ、息子の私から見てもとても不器用で、愛情のかけ方が上手くなく、19歳まで実家で育った私は正直父が嫌いだった。
愛情は十分伝わっていたのだが、これほどまで間違った子育てしていたのは、祖父母から養育を十分に受けられなかったことが影響しているのかもしれない。祖母とは別の女性とも生活し、時々しか帰らない祖父への愛情を父は強く求めていただろうし、祖母から収入を求められるのではなく、本当は優しく抱かれ、子どもらしく駆ける自分を見て欲しかっただろう。
祖父が他界し、それから数年で祖母も他界した後、父は何を想っただろうか。
現在となってはそれを知ることはできないが、父と祖父母、あの世では父が求めた家族として満たされて欲しいと、私は思い巡らせる。
先日、山中にある仏に手を合わせた時、父に会えた気がした。「おぅ、元気か」と私に語りかける父。「元気だよ。また来る」と私はその場を離れ、山を降りた。
人は、生きている間は帰る場所があり、そして生を全うした後、還りたい場所へ向かっていく。
山から父の生家があったであろう場所を見下ろすと、生前の父が駆けている姿が見え、そして山に登れば父に会える。
父は地元が好きだっただろう。それは土地を離れず仕事に通い、家庭を築き、仲間や親族を大切にしてきたことからも感じる。錯覚かもしれないが、山で父に会えたことを思うと、父は還るべきところに向かったのだろうと、確信に近いことを思う。
私の生を全うした後、どこへ還るのだろう。その時は妻と一緒にいたいし、年齢的には先立つであろう愛犬とも過ごしたい。
その時が訪れるまで、今は山に登り、仕事へ向かおうと思う。