記憶の山

登山の記録と記憶 児童養護施設で働いています。その考察を記録しています。

帰る場所と還る場所

死ぬかもしれない場所に何故向かうのか。
P1280406


真剣に登山をする人なら、一度は周りに問われたことがあるセリフである。

登山をして十数年になるが、私自身、そんな言葉をよくかけられる。

この言葉を考えていくと、登山者は社会で生きる人と考えに根本的な違いがあることが分かる。

生きるためには死と隣り合わせの場所に向かう必要がある。文明という定められたルールを守っていれば生命は高い確率で保証され、歯車となって生きていれば適度な充実を得ることができる。自我を持っていそうで、それは与えられたものかもしれない。そう思うと、山という大きな意思を持った存在の中で、真に自分で選び、頂きを目指す行為は、死=自らの意思と向き合う行為であり、頂きを制するということは生命を肯定し、生きる資格が獲得できるのである。

どんなきっかけかは人それぞれだが、山という存在に触れた時、社会との摩擦で生まれた空白を埋めるように、山に登り続けるのかもしれない。

死を意識しなければ生を得ることはできない。それが登山者が山に向かうひとつの理由である。

では、山に登るのに自然とは相反する文明や社会という存在が不要かといえば、そうではない。むしろ文明社会にあるものが不可欠だ。

それは、帰る場所である。
P1130208

先日、雪山に登るために支度をしていたところ、長女が私の登山を止めてきた。「行っちゃダメ」と、普段は言わないような言葉を印籠の如く私に突きつけ、その抑止力は木星を歩いているかのように重くのしかかってきた。

妻の口癖を覚え、同時に意味も理解してきたことが大きいのだが、好きな父が危なっかしい山に向かうのが不安で家を空けられるのが嫌なのだという。
結果、ここで登山を中止することはせず山に向かう。後日山から戻ると、娘は寝ている間に姿を消した私に酷く落ち込んでいたというのを妻から聞いた。

この時の登山は、久し振りに少しヒヤッとする場面もある雪山で、娘の言葉も登山中に脳裏を過る緊張感があり、自分の中で良い登山ができた日であった。

下山し車に乗り込むと、真っ先に連絡を入れるのはいつも妻だ。この瞬間のために登山をしていると言っても良い。

私にとって登山は家族がいなければ成立しない。それは先の通り、生死を実感するためには帰る場所が必要であり、私にとってそれは家族だからだ。
P1280286

家族がいなければ、もっとヒリヒリするような死のリスクが高まる山に登っているかもしれない。が、それが私にとっての登山かといえば、それは限りなく刹那的で、まるで死を望むかのように登る行為で、今の私の登山とは少し違う。あくまで私が登る登山は文明社会をベースとしていると、これは最近実感してきている。

生きるために必要な居場所。私は山に登らなければそれを実感することができない。ただ実感する手段があるので、私の生はとても充実して輝いている。

P1130362

私の職場の児童養護施設では、帰る場所という存在が子ども達をケアするうえでとても重要な要素として知られている。

「帰りたい場所」がある、しかし「帰ることができない」子ども達が大半だ。帰る場所を失い自暴自棄になる子もいる。そんな子ども達にしてやれること。児童養護施設職員ができるのは止まり木である。そして留まる中で癒やされ、それぞれの帰る場所へ戻り、時に新たな場所を見つけ、飛び立っていく。

帰りたい場所。それは家族であったり、心を寄りかかられる人であったり、様々だ。ただひたすらにそこにある愛を求めて、傷ついてでも進もうとするが、時にそれは帰れない場所なのだと突きつけられることがある。

私は山に登ることでそれを実感し生を得ることができる。しかし子ども達の中には生も死も失い、自身が何者かも定まらず、自らの存在がまるで無いものかのようになる。これほど悲しいものはないし、そんな現実を私は見てきた。

だから、児童養護施設職員は必要なのだ。その子の歴史を知り、想いを知り、ただただ寄り添う。そして築かれる担当者とその子の絆。

生活をともにする中で互いに傷つき、ぶつかり崩れることもある。それは私にとっての登山という行為に近く、その度に変わらずいる存在が、子ども達に生の肯定と帰るべき場所を知らせることができる。



私はこうして仕事と登山の双方で生の充実と実感を得ているのだが、その先にあるのは、死という生の完結だ。

生の完結のひとつを教えてくれたのは、私の父である。

その父は先日、病で他界した。

数年前から体調が悪化、ガンが見つかり腫瘍を摘出し、以降最善の治療を行ってきたが、腫瘍は身体に残り治す見込みがなくなったと告げられてから1ヶ月程で亡くなった。

父が亡くなって少し落ち着いた頃、父は何に生き、死後どこに向かったのだろうと考えていた。
生前から自身のことを語ることは少ない父だったので、父の輪郭は葬式でお会いした友人や親戚に聞いて知った。

ぶっきらぼうで母の前では天邪鬼な父であったが、友人の前では母への想いを語っていたり、親戚や友人には定期的に会いに行っていた。私や兄に対しても不器用ながら愛情は注いでいたし、そんな仲間想いで空回りしながらも家族に愛情を向けていた父だからこそ、ひとつの職場(大手鉄道会社)に数十年勤め上げたのだろう。

そんな父に、私は山で会いに行った。
P1130151

父の生家があっただろう場所周辺からは、丹沢の山々が見える。その山々に登れば、父に会えるかもしれないと思い、山に向かった。

幼少期の父は家庭状況が荒んでおり、祖父は家に帰らず、食事もまともに摂れず、収入を得るために学生時代の運動会を休んだこともあったそうだ。

辛い幼少期を過ごした父。私の現職は児童家庭支援専門相談員という、やや堅苦しい肩書であるが、こんな職業だからこそ、当時の父の心情が私なりにだがよく想像できる。

父は、祖父や祖母の愛を強く求めていたのだろう。

誰よりも人の愛を求めた素直な人間が父だった。ただ、息子の私から見てもとても不器用で、愛情のかけ方が上手くなく、19歳まで実家で育った私は正直父が嫌いだった。

愛情は十分伝わっていたのだが、これほどまで間違った子育てしていたのは、祖父母から養育を十分に受けられなかったことが影響しているのかもしれない。祖母とは別の女性とも生活し、時々しか帰らない祖父への愛情を父は強く求めていただろうし、祖母から収入を求められるのではなく、本当は優しく抱かれ、子どもらしく駆ける自分を見て欲しかっただろう。

祖父が他界し、それから数年で祖母も他界した後、父は何を想っただろうか。

現在となってはそれを知ることはできないが、父と祖父母、あの世では父が求めた家族として満たされて欲しいと、私は思い巡らせる。
P1240122

先日、山中にある仏に手を合わせた時、父に会えた気がした。「おぅ、元気か」と私に語りかける父。「元気だよ。また来る」と私はその場を離れ、山を降りた。


人は、生きている間は帰る場所があり、そして生を全うした後、還りたい場所へ向かっていく。

山から父の生家があったであろう場所を見下ろすと、生前の父が駆けている姿が見え、そして山に登れば父に会える。

父は地元が好きだっただろう。それは土地を離れず仕事に通い、家庭を築き、仲間や親族を大切にしてきたことからも感じる。錯覚かもしれないが、山で父に会えたことを思うと、父は還るべきところに向かったのだろうと、確信に近いことを思う。
P1280406

私の生を全うした後、どこへ還るのだろう。その時は妻と一緒にいたいし、年齢的には先立つであろう愛犬とも過ごしたい。

その時が訪れるまで、今は山に登り、仕事へ向かおうと思う。
ブログランキング・にほんブログ村へ

プロ宣言のその後

2023年1月11日にプロの児童養護施設職員であることを宣言をした。
P8030977

それから何が変わったかというと、私生活上は大きな変化はなく、海と山が程近いのどかな町で妻と娘2人、愛犬と絵に描いたような家庭生活を送っている。

長女は妻に似てきたのか、人の枕を勝手に使うなとか、私が出た直後のトイレで用を足せば鼻をつまんで出てくるなど、順調に生物学的に父親を嫌悪する道を進んでいる。

そんな娘の幼稚園バスの迎えに同行し、娘と幼稚園バスの先生、子どもたちに一笑い作ろうものなら「他のパパを見習ってほしいもんだわ」と妻に言われ、砂糖に群がるアリを見るような瞳で夫を見つめているところからして、私のスタンスは一般社会とボタンをかけ違えた養育をしているのではと、最近薄々と感じている次第であり、どこか妻や娘が私を蔑む姿勢を崩さないところの原因を感じているのである。

とはいえ、軌道修正しようものならそれは私の人格に引っかかる部分でもあるため容易に行えるものではない。私が全裸で体重測定をしているのを妻に目撃されたことを娘が友達に嬉々として話していたことを先日知り、こんな阿呆な父でも根本は好いていると信じ、家庭生活を私なりエンジョイしようと日々を送っている。

話を戻し、私生活ではほとんど変化はないが、仕事では色々と変化が起きている。

まず、私が掲げるプロとは以下のことを基本としている。

1.対象者から逃げずニーズに最高のケアで応え続けていく
2.スポンサーメリットを理解し成果を上げていく
3.目標を掲げ達成し成長していく

以上に基づいて仕事をするようになると、児童養護施設や児童福祉の問題というものが、嫌でも見えるようになってくる。

「権利」「養護と養育」「予算」「法人」「採用」「既得権益」など、ひとつひとつが重く、児童福祉が抱えていた課題が矢のように降り注いでくる。これまで逃げるのは簡単だったが、もはや見てしまったので抗うことはできない事態に発展しているので、覚悟して臨む以外に道はない。

これらを解決するために動くため、八方美人でコーティングした様なこれまでの姿勢は崩れ落ち、職場では言い切ることが増えた。

発言には論拠が求められ、もちろんその言葉に納得する人ばかりではない。それはこれまで個人見解を伝えて上手い具合に予定調和を測ってきたが、組織や行政の方針という、私が最も苦手と構成単位を意識し、チーム一丸となって物事を進めるために、こだわりやエゴを取り払って発言することになったため、敵にする人の数は明らかに増えたと感じている。

敵=嫌悪するもの、ということではない。相対することで高め合い、目標に向かっていける存在である。
とはいえこっちも本気なのでイラッとするのだが、結果が良いものになれば、率直な議論は必要であり、そのための敵は歓迎したい。

そんな姿勢で仕事をしていたら、持ち時間である1日8時間は、私の全能力を以て効率化を図っているが足りず、最近欲しいものは何かと聞かれれば時間と答えるようになった。
P8051779


プロ発言をして以降、私の仕事ぶりを見た人から「死ぬなよ」と言われたことがある。妻からは原因は定かではない白髪の爆発的な増加をストレスと懸念され、健康診断は見事に引っかかり再検査を推奨されるなど、自分の危うさを客観的に指摘してくださる方も増えたが、止まったら本当に死んでしまいそうなので、今は止まらないようにしている。
P9270101

私はプロ児童養護施設職員であり、家族の一員であり、アウトドアライターである。このどれかが無くなれば私ではなくなるし、死んだも同然だ。36年とそこそこ生きて、やりたいことをしてきた私の思考がまとまって現在の活動をしている。この動きを止めれば、繰り返すようだが生に意味を見出だせない、文字通り死が待っている。

プロを名乗るようになり、間違いなく私の生活は変わった。刺激的になり、突き進んでいけば良い生が送れそうだ。


ブログランキング・にほんブログ村へ

プロ児童養護施設職員になるということ

世の中、どの業界にもプロフェッショナルが存在する。

P1040305


一般的な定義として、プロフェッショナルは特定の職業をメインに生計を立て、特化し確かな知識と技術を持つ人のことを指している。この他にも独自のプロの定義を持ち活動している人は多くおり、それは個人のマインドや業界によって独自の感覚が示されている。

私のライフワークである登山やアウトドア関係には、プロ登山家の竹内洋岳氏、プロアドベンチャーレーサーの田中正人氏がいる。竹内氏は8,000m峰14座を登る覚悟を、田中氏は人生において圧倒的な趣を持つことをプロという言葉に込めている。

めちゃくちゃカッコイイ。自らの覚悟や淀みのないその姿勢に、器用貧乏で気ままな暮らしを30年以上続けてきた私には無いマインドである。

私の経歴には、調理師、酪農関係、板金関係、保育士、会社員など、数えてみると、なんでこんな転々としているのだと、自ら歩んできた道であるが目を疑ってしまう食い散らかしっぷりがある。散らかしては後片付けはせず、散らかした欠片を拾っては次に行きを繰り返し、今まで何をしてきたのかと唐突に聞かれこれまでの職歴を答えると「すごいですね」と言われるが「かじった程度です」と返すのが定番のやり取りとなった。

かじった程度というのは本当にその通りで、深みにハマる前に身を引いてしまうので、表面的なノウハウは身につくものの、洗練された技術は一切身につかず、正にかじった程度となる。深く突っ込み真髄を知れば得るものも多かったのだろうが、いかんせんチームワークというものに治療不可能なアレルギー反応を持つ私にとって、同じ場所に長く留まる事をさせず、興味が湧けば一目散に飛びついてしまう性分も手伝い「何があっても死ぬことはなさそうな人」と呼ばれるようになった。

現在は私を児童養護施設の業界に呼び戻した奇特で尊敬する上司の職場(児童養護施設)に戻って仕事をしている。児童福祉は器用貧乏である私が10年以上のキャリアを持つ唯一の業界である。

P1040150


児童福祉の業界は面白い。食い散らかして今ではゴミ屋敷ばりとなった私の様な器用貧乏者がここまで滞在しているのには、子を生み育てるという行為を助けるという、人間(とヒト)として自然な行為を生業にできる点が私には面白く、登山・アウトドアという業界に一時身を置き、現在もアウトドア系のウェブライターを続けている事もあり、人間が持つ自然のサイクルに参加できるというところに、児童福祉の魅力と面白さを感じずにはいられないのだ。

業界から身を引く予定はなく、このまま児童福祉の業界には居座り続けるのだろうと思ったとき、周りを見回して思った不思議がある。

それは、児童養護施設職員にプロが少ない、という事である。

とはいえこれには語弊があり、プロフェッショナルの人は確かにいる。私が知る限りでも、児童養護の業界に覚悟を持って働き続け、確かな技術と知識を持つ凄い方達がおり、誰が見てもプロであり、その方達自身もプロという自覚と覚悟があるだろう。

P1040324


児童養護施設は非常にマイノリティな職業である。児童福祉という業界にあるひとつの職種として認知されているが、プライベートで児童養護施設職員であることを名乗ると、「あの伝説の?」と、実在していたことに驚かれる場合もあることから、児童養護施設というのがいかに人知れず(施設が地域に根づいている場合はこの限りではないが)働いている職業であるかを実感する。


しかしマイノリティであるからこそ、そこには非常に専門的な技術と知識が必要になってくる。
医療や障害福祉にも精通した所見を持ちながら日々のケアワーク、将来を見据えたケースワークを行う児童養護施設は、本来養成校でも専門のコースを設置すべきなほどにレベルが高い。

私は養成校出身であり、もちろん児童養護施設関係の学びもしているのだが、それは1週間の授業のうちのわずかな時間である。児童養護施設への入職を入学時から希望していたので、児童養護関係の授業は集中力10倍で傾聴し、10km先の小鳥が見えるほどに目を血走らせながら聞いていたものだった。それほどまでに飢えていたかといえばそうではないのだが、そう言っても過言ではないほどに児童養護の授業は貴重なものだった。

IMG20221227130312


私が専門学生だった頃から10年以上が経過しているが、特別なカリキュラムがなく児童養護施設業界に足を踏み入れるということは、素人が100m9秒台を出すほどに厳しく、フルマラソンを息を切らさずに完走できるスタミナが必要である。

十分な知識と技術、それを日々研鑽する努力が無ければ児童養護施設職員は務まらない。生半可な気持ちで臨めば心身を壊し人生の一瞬を棒に振るという結果を私は何人も見てきた。

一朝一夕のスキルと精神力で乗り切れるほど甘い世界ではないが、その分得られるものは大きい。

私の先輩には、10年以上子どもと長く関わり、実の親子といっても良い深い関係を築いた人がいる。先輩は一人の子の親となり、その子は新しい時代の担い手となり、その後も続く世代に向けてのバトンを先輩から受け取ったのである。生きていくには大なり小なり何かを背負うことで幸福になることがある。

不要な荷を下ろし、背負うべき荷を担ぐ手助けをすることは、生命として自然流れであり、文明に生きる人間の営みである。この成果を出した私の先輩は、十数年間鍛錬を怠らず、逃げず、子どものニーズに応え続けた、正にプロフェッショナルである。


とはいえ先輩のようなわけにもいかないのが現実だ。

国家資格があっても、児童養護施設で働いていても、常勤職員として雇用されても、それだけではプロと呼ぶには私の中では難しい。

私が思う児童養護施設のプロとは、以下のことと考えている。

1.対象者から逃げずニーズに最高のケアで応え続けていく
2.スポンサーメリットを理解し成果を上げていく
3.目標を掲げ達成し成長していく

福祉サービスのひとつである児童養護施設において相反する考え方もしれないが、私が思う児童養護施設のプロとは、上記のことである。

IMG20230105122329


子ども達や保護者のニーズを理解し最高のサービス(ケア)を提供し、その活動に賛同し援助頂ける支援者と社会に成果を報告、還元していくことは、サービス対象者が途絶えず慢性的に堕落していくこともある福祉施設と職員には必要なマインドだと考える。

また現状維持を是と思い込まず成長していくことが、変化していく社会とそこで生まれ出づる子ども達に対応していくには絶対的に必要である。

職員はいつでも辞めてこの業界を去ることが出来る。しかし、傷を持ち大人と社会に大きな不信を持つ子ども達に、プロである児童養護施設職員は、退路を断ち覚悟を持ってプロを名乗ることで、対象者と社会に最高のサービスを提供できる。辞めることを否定はしない、職員との職務を全うするまでその覚悟を持ち続けることが大切だ。

私は児童養護施設職員であり今まで(特にここ数年間は)アマチュアであったが、そろそろ退路を断ち覚悟を持っても良いのでは静かに考えていた。私より技術も知識も圧倒的に持っている人は全国に星の数ほどいるのだが、この業界に関わり続けプロとして名乗ることで、これまでとは違う成長を自分が出来るのではないか。恣意的な期待もあるが、それで私が思う生の充実と、結果子ども達やそこに関わる人達に還元されるなら良いのではないか。

そんな事を山に登りながら考えていた。

ブログランキング・にほんブログ村へ
ギャラリー
  • 帰る場所と還る場所
  • 帰る場所と還る場所
  • 帰る場所と還る場所
  • 帰る場所と還る場所
  • 帰る場所と還る場所
  • 帰る場所と還る場所
  • プロ宣言のその後
  • プロ宣言のその後
  • プロ宣言のその後